本記事ではTVアニメ「THE ビッグオー」の設定について解説とか考察をしていきます。
ネタバレの配慮などは一切しておりませんのでご注意ください。
またビッグオーという作品自体、製作者が「こう」と確定させていない設定が多いこともご留意ください。
今回はメモリーについて。
そしてTHE ビッグオーという作品の話をする上で最も面倒なもの。
そもそもオフィシャルガイドに書いてあるのですが
そもそもメモリーというものを、
エンジェルという人間の形をしたものにしたのがかなり後半になってからだった。
小中千昭氏インタビュー P.102ということでぶっちゃけ、作品初期の方でメモリーって話してるのと、
最後の方でアレックスやヴェラが求めていたメモリーってものが同一ではないのです。
まぁ同一ではないってすると語弊はありますけど。
しかも作中では一言にメモリーと表していても、そこに込められた意味がかなり多くあります。
故に最初に結論から書いておくと
メモリーとは人間の記憶のことであり、記憶とどう向き合うかってのがTHEビッグオーのテーマにはあります。
この辺りはオフィシャルガイドのP.36に書いてあるので読んでみてください。
で、インタビューから引用すると
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過去のメモリーに縛られて、だから自分はこうするしかないんだと思ったりすることは、人間にとって不幸なことですし、
自由な意思を持っているかぎり、生き方だって自由にできるはずだということを、ロジャーが必死にメッセージとして送っている。
小中千昭氏インタビュー P.102つまり記憶に縛られず楽しく生きろや、と。
ではここから何について話していくかは、作中でのメモリーの扱われ方です。
先にメモリーの表現方法に色々な物があると書きましたが、ここでは以下のように分けます。
・人間の記憶
・記憶の知識
・演者の役割
・世界の構成
これ全部『メモリー』です。
人間の記憶
メモリーの意味そのまま。そして本質。
人間が生きてきた証であり、継承される情報といった形でも存在します。
自分が過去に執った行動だったり、誰かの想いを引き継いだり。
これは自分を形作る積み重ねのことです。
作中だと主に老人の言葉として表現されています。
記憶の知識
これは主にこのメモリーを持つことでできるようになることを指します。
例えばウェインライト博士は研究者だったメモリーを取り戻したことで
R・ドロシーを作成したりドロシー1の設計図を提供したりできています。
ベックという小悪党で言えば、彼はメガデウスのインターフェース代替技術のメモリーを持っているため、
ドロシーをAct.2ではドロシー1の代替として、最終局面ではビッグファウのコアメモリーの代替として利用できているわけです。
お前ドロシーにだいぶ酷いことしてるな。
演者の役割
3つ目が演者の役割という意味での使い方です。
作中では主に「40年前のメモリー」という言葉で表現されています。
40年前のメモリーは、つまり「40年前の何かなんてものはない」というメモリーです。
もっと言えば40年前の記憶がない街として作られた舞台に『自分』が立った理由です。
つまり自分というキャラクターが配置された理由であり、演じる職業であり、
キャラクターとして最初から持っている実際に経験したことのない『記憶』です。
そしてこれは当然、本来ならば演者が知り得てはいけないものです。
故にこれを思い出してしまったものはすべからく殺される=舞台から排除されるわけです。
ただしこれをメモリーの消去という方法で回避した人間が二人います。
ロジャーとゴードンです。
詳しくは別の記事で解説しますが、ロジャーは演者であることを忘れるために、ゴードンは舞台からの排除を回避するためです。
ただロジャーはドミュナスであるメモリーも一緒にポイ捨てしてしまったので、
最終的にR・Dに殺されそうになりましたけどね。
因みにR・Dを動かしたのはヴェラにはアレックスであると説明されていますが、
あくまで動かしたのがアレックスなだけで存在理由までがアレックスの思いのままではなかったと思われます。
世界の構成
そして作中の一番最後で明らかとなったこと、それがエンジェル=メモリーであること。
即ち現実世界のエンジェルという人間が創ったTHE ビッグオーという舞台の骨子、
世界の設計図とも言えるもの(メモリー)です。
要はこれがあれば世界の全てがわかっちゃうすんごいもの。
実はアレックスがメモリーの本質に気づいていれば真っ先に手に入れられたもの。
結局の所メモリーに明確な定義はない
作中でのメモリーの扱い方について書いてきましたが、
実際のところ製作者側もメモリーについて『こう』と決めてるものはないようです。
これはインタビューや企画書を見るとよくわかりますが、
人間が持つ記憶は凄く曖昧なもので、一つの物に対する記憶(メモリー)も人によって違う。
そういった千差万別な物に固執も縛られることもなく自由に生きよう、という話。
といったところで次回はそのメモリーさんことエンジェルについて。